落語で飲み過ぎた主人が翌日帰ってくるという話がある。江戸時代の人は連絡なしに泊まっていたのだろう。歩きだし、きょう泊まるわと連絡することもできない。待ってるほうとしてはどこかで勝手にやってるんだろうと思うしかない。
明治時代に海外に留学する人もそうである。長い船旅の末に数年過ごす。基本的に連絡はなく、たまに手紙が来るぐらい。勝手にやってるんだろうと思っていただろう。
携帯電話やSNSでまめに連絡がとれるようになって、かえって心配が増えていると思う。
連絡がないことへの耐性がないからだ。どこかで勝手にやってるんだろうと思えない。
スマホの子どもの見守りアプリの案内を見たが、居場所がGPSで分かったり、いまの写真が見られたりすごい。たまに動かなくなるとお母さんはかえって心配になるんじゃないかと心配した。
心配になるんじゃないかと心配する僕が余計である。